奇跡のカンパネラ
10年ほど前。
ふとつけたテレビでドキュメンタリーをしていた。
「奇跡のピアニスト」という題名だった。
その番組に釘付けになった。
そして、その番組で奏でられるピアノの音色が心に響いてきた。
そのピアニストは、フジコヘミング。
ハーフだったフジコさんは、幼少期から母のピアノの音色を聞いて育ち、
天才ピアニストと絶賛されるようになる。
が、国籍を失ったり、難聴になったり、と苦難をいくつも越えてきた。
10年ほど前に、奇跡の復帰を果たす。
この人の誰に媚びることなく、自分の音楽を貫くような、
だけど肩の力がすっと抜けたような風情がとっても魅力的で惹かれた。
紡ぐ言葉のひとつひとつは、嘘も気負いもない。
フジコさんが弾くピアノの旋律は、まるで魂にひとつひとつ呼応しているみたいに感じられた。
この人は、自分の弾く「ラ・カンパネラ」が一番好きだと言った。
カンパネラは、イタリア語で鐘という意味だそうだ。
人生の節目節目に鳴る鐘の音。
自分のカンパネラは、ひとつひとつに魂が入ってるような鐘、ぶっ壊れそうなカンパネラだと言う。
少しぐらい間違ってもいい、人間は機械じゃないんだからと言い切る。
この言葉の意味。
本物を感じてる人だから言えるんだよね。
10年前のドキュメンタリーなんだけど、心の深く残っている。
当時、このドキュメンタリーを見たあと、フジコさんのカンパネラが聴きたくて、
あちこちで調べたが、機会を逃していまい、本物を聴けずに今に至る。
最近、辻井伸行さんの「カンパネラ」も素晴らしいと思ったが、
10年後の彼の「カンパネラ」を聴いてみたいと思った。
何かを超越した音を奏でるフジコさんの「カンパネラ」が心の奥にあったからかもしれない。
音楽も、絵画も、それを描く人、作る人、奏でる人の人生を垣間見せてくれる。
それを色で感じとるのが、私は好きだ。
物事は、勉強すれば、ある程度まではできるようになる。
でもね、ほんとは、そこからが学習なのかもしれない。
その学習に必要なのは、「感性」以外、なにものでもない。
目に見えないから厄介だけど、目に見えないから本物を作り上げる。
そこには、苦しみもあり楽しみもあり喜びもある。
まるで、フジコさんの奏でる「カンパネラ」のようだ。
10年前に聴いたフジコヘミングの「カンパネラ」。
この10年の間に、私の心のカンパネラは、何度鳴ったのだろう。
そんなことを考えながら、もう一度、その魂に触れてみたいと思った。
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